いだごろ踊りの由来
宝暦年間(1751~64)延岡藩の飯田五郎という警護番の武士が、毎年、今の美郷町南郷区に派遣され、庄屋の家に泊まっていた。川があるのに毎日の食事が鶏や兎の料理だったため、不思議に思った警護番は、その理由を聞いた。
「小丸川の下流に大きな滝があって、ここまでは魚がのぼってこない」との返事だった。
警護番は、村人3人とともに、児湯郡木城町の川で「うぐい(いだ)」を捕獲し、持って帰って近くのに川に放流した。
そして、「この魚が増えるまで3年間は取ってはいけない」とお触れを出した。それを守った村人たちは、それ以降住み着いた新鮮なうぐいを食べられるようになった。当時の村人の3年後の解禁の喜びはたとえようのないものだった。
魚取りの状況(手まね、足まね、網を投げるまね、魚取りかごに入れるまねなど)が、踊りのもととなっている。
この踊りを、警護番の飯田五郎への感謝の気持ちを現わし、「いだ五郎踊り」という名前を付け、川祭りに魚の供養としていたのが、現在の盆踊りとなっている。
お問い合わせ先
百済の里いだごろ祭り実行委員会 TEL:0982-66-3603
(事務局;美郷町役場 企画情報課 内)